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「裏」を求めるブログ

辻本清美

国会議員、辻本清美の本音を語ります」

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生年月日: 1960年4月28日 (56歳)
出身地: 奈良県 大淀町
大学: 早稲田大学 

 
現在、菊池議員の手紙の中に名前が登場するとして話題になっている、衆議院議員辻本清美さん。
 
これから独自の視点で、
辻本清美さんの本音
をお伝えしたいと思います。
 
 
#裏ブログの内容:
 
☑ 辻本清美さんの画像紹介
  辻本清美さんの経歴について
  辻本清美さんのエピソードや発言について
 
  辻本清美さんの人物分析・解析
  辻本清美さんの本音
 
を書いていきます。
 
+++++++++++
*裏ブログの調査:辻本清美さんについて
 

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今回辻本清美さんが話題になっているのは、国会の証人喚問における

有力な登場人物の一人です。

 

もともと辻本清美さんは、ネットでも一部の政治勢力から

徹底的にたたかれる存在でもあります。

 

ネット上に出回る情報の五割以上には、

ハッキリ言って根も葉もないうわさ話であると

そう断じてもよいでしょう。

 

特定の思想を持つ政治家については、

組織的にデマを流す動きがネット上にはあります。

芸能界よりも、政界のほうが、その趣は強いでしょう。

 

ただし、そうやって狙われる政治家こそ、

じつはある勢力からは危険人物=つまり、実力のある人物という見方もできます。

 

今回、辻本清美さんの話題になっているのは、証人喚問において
菊池夫人のメールの中に名前が登場していることからです。
 
これが、事実なのか、あるいは、根も葉もないうわさ話なのか、
あるいは、意図的に陥れられたのか……
 
これだけ情報が錯綜している中では、正式な公式見解が出るまで、結論は急ぐべきではないでしょう。
(ただし、「正式な公式見解」が、事実である可能性も疑わしいですが…)
 
*裏ブログのまとめ:辻本清美さんとは
 
とはいえ、これだけ様々な情報が錯綜している以上、
 

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(ご覧のとおり、画像検索しただけでもわかるすさまじいバッシングの嵐…)

 
辻本清美さんの実態をネットの情報から断ずるのは極めて難しいです。
 
したがって、今回は、活動中の辻本清美さんの写真から人柄を見てみたいと思います。
 
辻本清美さんの活動中の表情として、
(公式ブログなどに出している笑顔の写真以外は、)
大体険しい表情や険悪な表情が多いです。
 
ここから言えることととして……
 
*裏ブログの結論:辻本清美さんの本音
 
「絶対に負けてなるものか!」
 
それが辻本清美さんの本音です。
 
政治生命におけるモチベーションと言ってもいいでしょう。
 
 
その政策方針はどうあれ、これだけのバッシングを浴びながら自説を主張し続ける精神力のタフさは、極めてすさまじいものです。
 
詐欺罪による逮捕など、栄光も挫折も積み重ねてきましたが、
それでも第一線で長く政治生命を続けられている辻本清美さんの精神力は
確かに人並み外れたものがあるでしょう。
 
ただし、その姿勢からは、強さよりも危うさのほうを感じます。
 
「批判を恐れない」姿勢が、
あまりにも「恐れなさ過ぎている」というのは言えるでしょう。
 
辻本清美さんの場合、過激・攻撃的な発言が目立ちます。
 その裏にあるのが、並外れた闘争心の強さです。
 
これが「自分が上に立つ!」という心ではなく、
もっと硬軟織り交ぜられるようになっていければ、
より一皮むけていくと思いますが……
 
敵が多すぎて、難しいでしょう。
とはいえ「毒にも薬にもならない」という人物でないことは確かです。
 
良くも悪くも、大物。
この先、何か大きな転換期に、脚光を浴びる可能性はあります。
 
裏ブログの結論として…
 
タフではある。
能力も高い。
 
が、時流と世論を味方につける力がない。
発言が抜き身すぎて粗雑であり、感情的になりやすい。
 
したがって、上り詰めていくことは難しい人物だ、と言えるでしょう。
 
とはいえ、政治の世界では、個人の精神性以上に世論に左右されやすい世界です。
 
 
したがって、辻本清美さんの今後を図るのは、極めて難しいでしょう。
 
 
裏ブログは、辻本清美さんの顛末を見守りたいと思います。
+++++++++++
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裏ブログ独自の「人の心・本質を知る方法」まとめ

 

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私、哲学者「相良章智」(さがら ゆきと)が  

人の心の本質をとらえる方法を、無料で公開しています。

 

人の心をどのように理解するか、

「裏ブログ」の背景になっている理論をこちらの記事にまとめました。 

 

興味のあるものはどれでしょうか?

 

ご自由に選んで、ご覧ください。

 

# 人生のベースとなる考え方

urablog.hatenablog.jp

#前に進むため、成功する人の考え方

urablog.hatenablog.jp

 

#高い能力を発揮するための考え方 

urablog.hatenablog.jp

 #天職を見つけ、最高の人生の舞台を手に入れるための考え方

urablog.hatenablog.jp

 

#人生を考えるときに、いつか考えなくてはならないこと

urablog.hatenablog.jp

 

 

 

死について

死について

※以前、ある人に向けて書いた記事を、そのまま掲載します。

 

 

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そろそろ、この事について書く時だと思います。

少しだけ、時間が取れたのと、今なら書けそうな気がするので。


前置きしておくと、これから、重い話をします。

 

 


二週間前の事です。

私は、いつも通りの朝、バイクを走らせていました。
車の通りの多い、大通りです。

 

通勤の時間帯、ひっきりなしに車が行きかっていました。
誰もかれも急いで車を走らせている中で。

私は、前方の異変に気付きます。

 

トラックが、交通量の多い中で、停車していました。

そして、倒れている水色の自転車と。

 


車道のわきに、横たわっている人の姿。

 


何が起きたかは、一目瞭然でした。


私は唖然として、急いでバイクを傍に乗りつけました。

倒れているのは、40代ほどの女性。

頭部からの出血。白目に近い状態で、呼吸音が聞こえます。
動悸は荒いですが、上下する胸が、息がある事を現わしています。

一見すると出血だけ。


状況を確認した後、私は携帯を取り出して通報しようとします。
ですが、119は初めてダイヤルするナンバーで、それを思い出すのに手間取り、近くの通行人に尋ねてダイヤルしました。

私も、冷静さを欠いていたのでしょう。

ほぼノーコールで、女性の声が返ってきました。

可能な限り明確に、私は現場の状況を伝えました。

救急車が来たのは、5分ほどだったでしょうか。
驚くほど速い到着でした。

同時に駆けつけてくるバイクに乗った警官等。

仕事場に連絡し、救急隊員の方に声をかけたうえで、私はバイクにまたがりその場を後にしました。

 

人の命を救う事に、一つ貢献できた。

気持ちのいい目覚めではなかったにせよ、そういう思いがありました。

 

 

それから、二週間ほどたってからでした。

朝、通勤途中の私の前に、立て看板の姿が飛び込んできます。


「~月~日の、自転車と自動車の接触事故を目撃した方は~~~」


そんな立て看板。


…対応が遅いだろう、こんなに時間が経っては目撃者が忘れるじゃないか

そう思い、前に目を向けた私の目に。

 

 

 

 

 

 

道路の隅っこで、ぽつりとガードレールに括り付けられた花束が映りました

 

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その時の思いを、どう表現すれば良いでしょうか。

  

あの人を轢き殺した人が、どこかにいるという、そんな呆然とした事実。
その人は、今もこの道路を使い、あの花束を見ているのだろうか?

もしくは。


無茶な運転で、人が死ぬという現実を目の当たりに、公道の怖さを思い知ったか。


もしくは。


あの時、自分がもっと早く救急車を呼べていたなら。
医療上適切な処置を、もし取るだけの技能があったなら。


駆け巡った思いは、一言で表せるものではありませんでした。

 


けども、真っ先に思い浮かんだこと。

それは、

 

人って、死ぬんだ、と。

 

そんな当たり前の事実と、


受け止められない位に大きくて、真っ白な…きっと、恐怖だったと思います。

 


ああ、自分も、いつああやって死ぬか、分からないんだな、と。

 

 


例外は無いのですから。


お金があっても、心を繋いだ友達がいても、高い地位を得ても。


例外なく、人は死にます。

 


そんな、当たり前のことを、現実の冷たさを、心臓にまで直に押し付けられて、思い知らされたような感覚。

 

 

 


この事から、何か意味のあるテーマをお伝えするつもりはありません。


ただ、ありふれた、事実です。

 


人は死にます。


どんな死に方であれ。
その可能性は必然であり、生きとし生ける者に例外なく、常に存在する確率です。


0%になることは、あり得ません。

 

 


…だから、後悔なく生きようとか、

いい死にざまにしよう、とか。

 

 

そんなの、ただの気休めです。


そんなもので恐怖を紛らわせようが、どんな折り合いを付けようが、人は死にます。


生きている間に構築した、いかなる財産をもこの世において。

 

 

 

当たり前のように知っていて、忘れていたそれに、出会って、それを改めて感じた。

ただ、それだけの話でした。

 


それをしって、受け止めて、どうするか。


それこそ、人それぞれという物でしょう。

 

 


私の中には、すでに、その問いに対する答えは用意されています。

 

準備はまだ全然できていないですし、

生きてる間にやらないといけないことは、まだまだたくさんあります。

 

それでも死ぬ時に、やり残したことがないように、

しっかりと覚悟を持てるように、

今日も私は全力で生きていきたいと思います。

 

これからもそのために、

色々な人の生き方を知って、学んでいくために、

記事を書きたいと思います。

 

私自信が後悔なく生きるために、

今の時期は、このブログを運営していきたいと思っています。

 


以上です。
読んでくれて、ありがとうございました。

 

 

 

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