裏ブログ独自の「人の心・本質を知る方法」まとめ
私、哲学者「相良章智」(さがら ゆきと)が
人の心の本質をとらえる方法を、無料で公開しています。
人の心をどのように理解するか、
「裏ブログ」の背景になっている理論をこちらの記事にまとめました。
興味のあるものはどれでしょうか?
ご自由に選んで、ご覧ください。
# 人生のベースとなる考え方
#前に進むため、成功する人の考え方
#高い能力を発揮するための考え方
#天職を見つけ、最高の人生の舞台を手に入れるための考え方
#人生を考えるときに、いつか考えなくてはならないこと
死について
死について
※以前、ある人に向けて書いた記事を、そのまま掲載します。
そろそろ、この事について書く時だと思います。
少しだけ、時間が取れたのと、今なら書けそうな気がするので。
前置きしておくと、これから、重い話をします。
二週間前の事です。
私は、いつも通りの朝、バイクを走らせていました。
車の通りの多い、大通りです。
通勤の時間帯、ひっきりなしに車が行きかっていました。
誰もかれも急いで車を走らせている中で。
私は、前方の異変に気付きます。
トラックが、交通量の多い中で、停車していました。
そして、倒れている水色の自転車と。
車道のわきに、横たわっている人の姿。
何が起きたかは、一目瞭然でした。
私は唖然として、急いでバイクを傍に乗りつけました。
倒れているのは、40代ほどの女性。
頭部からの出血。白目に近い状態で、呼吸音が聞こえます。
動悸は荒いですが、上下する胸が、息がある事を現わしています。
一見すると出血だけ。
状況を確認した後、私は携帯を取り出して通報しようとします。
ですが、119は初めてダイヤルするナンバーで、それを思い出すのに手間取り、近くの通行人に尋ねてダイヤルしました。
私も、冷静さを欠いていたのでしょう。
ほぼノーコールで、女性の声が返ってきました。
可能な限り明確に、私は現場の状況を伝えました。
救急車が来たのは、5分ほどだったでしょうか。
驚くほど速い到着でした。
同時に駆けつけてくるバイクに乗った警官等。
仕事場に連絡し、救急隊員の方に声をかけたうえで、私はバイクにまたがりその場を後にしました。
人の命を救う事に、一つ貢献できた。
気持ちのいい目覚めではなかったにせよ、そういう思いがありました。
それから、二週間ほどたってからでした。
朝、通勤途中の私の前に、立て看板の姿が飛び込んできます。
「~月~日の、自転車と自動車の接触事故を目撃した方は~~~」
そんな立て看板。
…対応が遅いだろう、こんなに時間が経っては目撃者が忘れるじゃないか
そう思い、前に目を向けた私の目に。
道路の隅っこで、ぽつりとガードレールに括り付けられた花束が映りました
その時の思いを、どう表現すれば良いでしょうか。
あの人を轢き殺した人が、どこかにいるという、そんな呆然とした事実。
その人は、今もこの道路を使い、あの花束を見ているのだろうか?
もしくは。
無茶な運転で、人が死ぬという現実を目の当たりに、公道の怖さを思い知ったか。
もしくは。
あの時、自分がもっと早く救急車を呼べていたなら。
医療上適切な処置を、もし取るだけの技能があったなら。
駆け巡った思いは、一言で表せるものではありませんでした。
けども、真っ先に思い浮かんだこと。
それは、
人って、死ぬんだ、と。
そんな当たり前の事実と、
受け止められない位に大きくて、真っ白な…きっと、恐怖だったと思います。
ああ、自分も、いつああやって死ぬか、分からないんだな、と。
例外は無いのですから。
お金があっても、心を繋いだ友達がいても、高い地位を得ても。
例外なく、人は死にます。
そんな、当たり前のことを、現実の冷たさを、心臓にまで直に押し付けられて、思い知らされたような感覚。
この事から、何か意味のあるテーマをお伝えするつもりはありません。
ただ、ありふれた、事実です。
人は死にます。
どんな死に方であれ。
その可能性は必然であり、生きとし生ける者に例外なく、常に存在する確率です。
0%になることは、あり得ません。
…だから、後悔なく生きようとか、
いい死にざまにしよう、とか。
そんなの、ただの気休めです。
そんなもので恐怖を紛らわせようが、どんな折り合いを付けようが、人は死にます。
生きている間に構築した、いかなる財産をもこの世において。
当たり前のように知っていて、忘れていたそれに、出会って、それを改めて感じた。
ただ、それだけの話でした。
それをしって、受け止めて、どうするか。
それこそ、人それぞれという物でしょう。
私の中には、すでに、その問いに対する答えは用意されています。
準備はまだ全然できていないですし、
生きてる間にやらないといけないことは、まだまだたくさんあります。
それでも死ぬ時に、やり残したことがないように、
しっかりと覚悟を持てるように、
今日も私は全力で生きていきたいと思います。
これからもそのために、
色々な人の生き方を知って、学んでいくために、
記事を書きたいと思います。
私自信が後悔なく生きるために、
今の時期は、このブログを運営していきたいと思っています。
以上です。
読んでくれて、ありがとうございました。
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小林麻央
小林麻央の本音
この表情を見ても、多くの人前に出ることが好きで、
なおかつ、人に元気を与えることを喜びとしている、
そんな人柄であると言えます。
そんな人柄は、こちらのエピソードからもうかがえます。
- 小林麻央の姉妹は、かなり仲の良い姉妹で、「麻央ちゃん」「お姉ちゃん」と呼び合っている。現在でも恋愛の事から仕事の悩みまで、何でも麻耶に相談し、麻耶を尊敬している。麻耶も麻央を非常に可愛がっている。
家族とはとても仲良しです。
今、小林麻央さんのブログには、毎日のようにお子さんたちと過ごす時間がつづられています。
非常に身内思いでもあり、同時に周りからも愛される、太陽のような人柄と言えるでしょう。
その時点で深刻であり、抗がん剤治療を受けていたということがわかっています。
世間はその病状の深刻さについて、騒然となりました。
そして8/31日、市川海老蔵氏から重大発表が告げられます。
それが、
小林麻央のブログKOKORO開設。
初めの記事は、「なりたい自分になる」でした。
今日から、ブログを書くことにしました。家族はとても、驚いています。素晴らしい先生との出会いに心を動かされました。その先生に言われたのです。
「癌の陰に隠れないで」
時間の経過とともに、癌患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたことに気がつきました。元気になったら元の自分や生活に戻れるのだからそれまでは、誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、と思ってきました。
乳がんであることが突然公になり、環境はぐるぐる動き出しました。そこで、これまで以上に病気の陰に隠れようとして心や生活をさらに小さく狭いものにしてしまいました。これは自分自身のせいです。
私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。こんな自分勝手な情けない理由でごめんなさい。
引用:なりたい自分になる
それが小林麻央さんの思いです。
「私はステージ4だって治したいです!!!遠慮している暇なんてありません!!だって、先生にも私は、奇跡を起こしたい患者なんだって思っていてもらいたいです。だから、堂々と叫びます!5年後も10年後も生きたいのだーっあわよくば30年!いや、40年!50年は求めませんから」
引用:心の声
あきらず、前を向く強さがうかがえます。
そして、「ずっと続く日々があるなら、休みたい。でも、終わりが見えるなら、休んでなんかいたくない。振り絞ってでも動きたい」と続け、「明日死ぬかのように今日を生きろ と、言うけれど、病気の時は ずっと生きるかのように、今日を生きろ くらいが、丁度良いと思った。今の私には」とつづった。
引用:【芸能】小林麻央さん、放射線治療の副作用 「すこぶる体調が悪い」