手帳・記録の本質 ~情報のタイムカプセル~
手帳の本質。記録とは何か
「記録」の意味。手記をとるとは何か。
私は、「記録」するという行為に対して、一つの定義を当てて理解しています。
それは、
「未来の自分に向けて、情報を送信するという行為」であるということです。
メモ帳に書いた予定にせよ、
忘れたくないアイデア張にせよ、
その行為自体は、「未来の自分に向けて送信すべき情報」と判断したものを送っている。
それが、記録という行為の原義であるといえます。
その記録の本質を踏まえるならば
手帳に物事を記す、
あるいは日記を記すという行為の価値もおのずと見えてきます。
未来の自分が使える情報を発信する。
それが、記録の定義である以上……
私は、今こうしてキーボードに向けて己の考えを「記録」するということは、
いわば、未来の自分のに向けた資産を提供しているようなものであるということです。
今の世界は、情報化社会であり、情報そのものが資産となる時代であるともいえます。
情報だけでは人は変わらない。
しかし、情報がなければ人は変えられない。
私はこのブログを通じて、
未来の自分に向けてヒントを発信していきたいと思います。
そんなブログですが、
少なくとも、私にとって価値があると感じた情報を、
ほかならぬ自分のために発信するつもりで行いますので、
価値を感じた方はぜひお付き合いください。
### 追伸 ###
さらに展開させると、
「書いたメモを見返さない」という行為。
これは、時間の流れを認識できるという、
人間の脳の優位性をどぶに捨てているような行為であるともいえるでしょう。
つまるところそれは、
「過去の自分」が、送信してきている信号を無視しているようなものだからです。
もともと、人間が、他の生物に比べてこれだけ抜きんでた発展を成し遂げたのは、
「言語」によって、世代間を超えた情報の蓄積があったから、という説があるくらいです。
言葉を操ってこそ、人間の本領であり、
言葉を通じて、経験や発想を記録・伝達することは、
叡智を蓄積していくことにほかなりません。
というわけで、このブログ自体、私も折に触れて見返しやすいようにしようと思います。
(となると、必然的にもっとレイアウト綺麗にしなくてはなりません……)